庭の青じそは元気です。毎年こぼれ種で育ってくれます。今日も暑い!

道の駅で、ツバメのヒナが育っています。ここはたくさんのツバメの巣があり、多くはもう巣立って壊れかけているけど、2つの巣は現役中。親鳥が何度も行き来をしています。巣のひとつは、まだ口の周りが黄色いちびっ子たち。もうひとつは、もうじき巣立つかなって感じ。

仲間たちと子育てがズレたのは、なにか事情があるんでしょう。

先日ここに来た時には、巣の下に一羽のヒナが落ちていて鳴いていました。出入口で人の往来も多く戻すこともできない場所なので、可哀そうでしたが立ち去りました。

丁度、「幸福な王子」という紙芝居を見た後だったので、ツバメのことを考えずにはいられない。じつは、このお話はちょっと苦手。紙芝居を読んでくれた方が「みなさんも人のために尽くした王子やツバメのように、優しい気持ちを忘れないでくださいね」と集まった子どもたちに言っていましたが、うーん、優しくない自分には何のことかわからない。王子の、なにが幸福なんだろ?

子どもの頃に読んで「なんか納得できん」と感じていたけど、大人になった今も合点がいかないのはなぜか。かなり雑にあらすじをまとめてみた。

金箔の銅像の王子が主人公。仲間と一緒にエジプトに行きそびれたツバメが一羽、王子の足元にやって来る。ツバメは早く仲間のところに行かなきゃっていってるのに、王子は聞いちゃあいない。それより困った人を助けたい気持ちが先に立ってしまい、ツバメを繫ぎとめちゃう。いつでもツバメはエジプトへ飛んで行けると思ったから。結局ツバメは王子の気持ちに賛同して働き、死んでしまうことになる。王子もツバメが死んだことで、やっと気づいて、ハートがバリンと壊れた。汚くなった鉛の王子は溶かされちゃうし、ツバメはゴミに捨てられちゃう。それを見た神様は心の美しい二人を天国に連れていった、という締めです。

たぶん、自分の期待する幸福の話じゃないからなんだね。

人って、困った人をみたら嫌いな相手でも手を差し伸べると思う。

王子の気持ちは、自己犠牲とかじゃなくて見返りのない優しさかもしれない。ツバメも優しいからそんな王子が好きになったのかもしれない。そんな2人だから最後に神様に美しいと認められたのかもしれない。時代的にキリスト教的思考も入っている話かもしれない。かもしれないことだらけだ。すみません。

でも、人のために生きるのもどうかな。子どもが「家族のためなら死んでもいい」といってたのを聞いたことがある。良いわきゃーないよ。まずは自分だよ。

優しさで幸福を片付けて終わるのも、どうかしらん。小学3年生の道徳の教科書でも取り上げているお話だと聞きました。3年生だと、どんな展開で授業を進めるのか興味があります。

自分なら、王子よりツバメを主人公にして、生きているうちにハッピーエンドにする!

ダメかな。

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きのもと

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